「食べられたやまんば2週目」
やまんばのお話を前回より2週続けて話しています。最後の展開があまりにもおかしくあっけないので、はじめにやまんばのことを怖がっていた生徒も、なーーんだというような顔で結末を聞いてほっとしたようです。 前回のお話を回想すると、普段あまり答えない生徒が自信を持って目を輝かせてお話を教えてくれたので、よく読み聞かせをしてくださっていることがわかりました。ご協力ありがとうございます。 子供達が空でお話を語れるくらいなんどもなんども聞いて自分の口から自分の言葉として出てくることがいいでしょう。ただし次回の授業は1ヶ月もあきますので今週のみで結構です。 シュタイナー教育では一回学んだことをその場で全て消化急させず、一旦うちに持って帰って眠らせます。そして次の日リフレッシュさせた頭で昨日学んだことを回想します。よく何か考えているときに一晩寝てみると昨日は思い浮かばなかったいい考えが浮かんだりするものです。一呼吸置くことはとても大事なことのようです。さらに、シュタイナー教育では「忘れる(眠らせる)」ことが重んじられており、平日校では1ヶ月ほど集中して国語を学習したあとは次月算数をやったりと全く違うものに移行して前回の学んだことに触れず、しばらく学んだことを全く忘れさせる時期をとります。そしてその忘れている時間というものをとても大切にしています。なぜなら人間は忘れることによってその学んだことが体のどこか奥深く熟成され、いつかまた同じ教科を学習するときには、学んだあの時点よりもより深みを持って取り組むことができる準備ができているといういう意図があるのです。 物事には光りと影があるように光を照らしているときは反対は必然的に影になる。忘れ去られることを恐れず、常にカバンの中に荷物を一杯詰めていない状態というのは大切なのですね。(これは自分に言っています。)ときに、何も考えていないぼーっとしているときに最高のアイデアが浮かぶということもそのような脳の使い方なのでしょうか?何れにしても学んだことを忘れてしまっているのではないかと焦る必要はないのだと思います。 学習したことは記憶のどこかに必ず残っているのでしょう。だからこそ学習したときに子供達の印象に深く残る学習方法をさせる必要があるのです。つまり心に響くカリキュラムであること、その学習した課題は思考し、心で感じ、(感動)体で体験することが大切です。その過程を通って学んだものは一生身体のどこかに記憶され忘れ去られないと信じます。記憶させることにばかり焦点をおかず「休ませる」ことの大切さを私はこの教育で学びました。 1年生 平仮名: 子音、と、ち、ら、よ、母音、あ 漢字:大きい、川、水、金、(口、目、耳) 六、七、八、九、十 2年生:漢字:走る、早い、体、言う 音。 文章:食べられたやまんば ひくずくひくずくひくずくよやまんばの体は、みるみる小さくなって、なっとうになった。「ほ、まめになったわ。」おしょうさんは、そのなっとうをもちにくるんで、ぺろりと食べてしまったとさ。 Comments are closed.
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October 2020
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